神経症の夢を見たこと

どうも最近繰り返し神経症の夢を見る。夢の中で、丁度神経症真っ盛りの頃と同じ思考のぐるぐる回りを経験して、押し寄せる不安にパニックのような状態になっている。しかし朝が来て、今のは夢であったかと分かってほっとする。夢であれほど地獄を経験するのに、起きると全く何時もと変わらない健康な自分を発見する。

この奇跡が起きた理由を検証すると、それはやはり動きであった。夢の中では動きが停止していて不安に釘付けになっている。どうしよう、どうしようだけが先行していて動きを忘れていた。
今の自分は、朝起きるが早いかどんどん雑務の処理する。神経症治りたての頃は意図的に雑用をしたものだが、最近は体が覚えていて自然と動く。体が自然に動いているとは、脳の無意識のプログラムが順調に作動している証拠だ。

地球に生きる動物は全てこの無意識プログラムの発する命令に従って動いていると思う。人間も例外でなく健康な人では殆ど無意識で日常の瑣末な動作を処理している。しかし、動物と違って前頭前野皮質が高度に発達したおかげで、この部分が時々無意識と競合するようになった。その現象の一つが神経症であると斎藤は見ている。これをもう一度原点に戻って、動きを無意識にまかせる、動きを自動プログラムにまかせるように訓練をしたのが無為療法であり、斎藤はそれにより成功した。

では同じく動きを重視する森田療法と無為療法では動きの何処が違うのか。
森田療法の動きでは努力、我慢を要求するのに対して、無為療法ではそれらを否定する。動物を見れば明らかであるが、自然な動きには努力、我慢は存在しない。
ただ動くとは頭の悪い動きのように見えるが、我々の無意識脳は脳全体とネットワークを組んで最善の動きを我々に指令する。ネットワークには過去の経験も含まれていて、あえて我々は思い出さなくても自然に不都合を避けるようにシグナルを発している。もちろん関係する筋肉の収縮具合の強弱まで微に入り細に入り適切な命令を下す。

この無意識が主人となっている通常の生活に意識が割り込んできて、無意識を乗っ取ってしまったのが神経症と言える。こうなると今まで動いていた体が停止して一日中考える生活に入る。バイトを続けるべきかどうか、このままだと首になるのではないか、会社をどうしよう、大学へ進学すべきかどうか、一家の長として収入をどう確保しよう、と一応もっともらしい思考が連続するが、その顔を見ると青い顔をしていて病人のそれだ。
雨が降ってきても洗濯物を取り込むわけでもなく、冷蔵庫が空っぽなのに買い物にも行かない。当然部屋はむさくるしくなり、こんな人間にもっともらしい将来の心配をする資格があるであろうか。進学云々より病院に入るかどうかではないのか。

グズグズ言ってないで立ち上がり、目の前の何かをすぐやるべきだ。
貴方は病人であることを肝に命ずる必要がある。



ホームページへ