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私は、もう20年も健康世界に住んでいますから、時々神経症の苦しさが分からなくなることがあります。しかし本質的には私も神経症者と同じ脳を持っていますから、何かのきっかけでフラッシュバックが起きて神経症状態に落ち込みます。でも私と神経症者との最大の違いは、神経症滞在時間が最大で24時間と短いことです。真っ暗な穴倉に落ち込みパニックになり、どうもがいても出口が見当たらないのと、間もなく出られると考えられるのでは天地の違いがあるのが分かるでしょう。
つい最近そのフラッシュバックを経験して、何故神経症がこれほど苦しいかを考える良い経験をしました。苦しさの最大の原因はやはり前頭葉の空回りにあると結論します。 健康世界では前頭葉が大変スムーズに活動していて、その活動が分からないほどに脳全体と調和しています。丁度、高級乗用車を運転して60kmくらいのスピードになった時を想像してください。エンジン音は殆ど聞こえないはずです。健康な人なこの状態で毎日を生活しているのだから大変心地よい。 所が神経症者の場合はおんぼろの中古車でスピードを80kmも出した状態に似ていて大したスピードでもないのにうなりを上げて今にもエンジンが分解しそうなほど騒々しい。これではとてもドライブを楽しむ雰囲気ではなくて直ぐ修理をするか新品に買い換えたいと思う。 何故こんなことになるかと言うと我々の前頭葉の作動が正常でなく、脳全体の調和が崩れニューロン同士の情報ネットワークの作動がおかしくなっているからです。このため、神経症者では健康な人なら何も考える必要もないものを深刻に考えていて、結論が出ない。結論を無理やり出そうとしても、直ぐ強迫観念が迫ってきてさっきの結論を打ち消してしまう。この状態では不安のレベルが当然高まって来ますから、この先どうやって生きて行こうかと悩み始める頃にはすでに我々は鬱状態に突入していて、この先の人生を考えて暗澹となる。 神経症者の場合、この間断ない思考の連続に強制休止を打つのは僅かに睡眠時だけで、翌朝おきて1時間もするとまた思考ぐるぐる回りが始まります。これを一生続けるのだから神経症者の生活は徹底的に破壊されてしまう。このような現象は健康な人には起きていないし起きたら社会が持ちません。 もう一つ神経症脳に特徴的なのは強迫思考です。苦しい、良くないと分かっていても思考せざるを得ない。止めようと思ってもその止めようと思う脳が暴走しているから、手の打ちようがない状態になっている。 この不可能とも思える脳の暴走を停止させる唯一の手段が、斎藤が何時も唱えている「動き」なのです。斎藤はこの動きの重要さを認識していることと、それを実行できることです。私の脳も基本的に神経症脳ですからフラッシュバックが一度発生すると、何時自分が神経症になったのか認識できない。悲しいかな脳はたった一つであり、異常状態を判定するもう一つの脳がないためにこの現象が起きます。でも半日も神経症状態に置かれるとさすがにその苦しさから自分が尋常でないのが分かり始める。 「あっ、いけない。これフラッシュバックではないか」と気がつき、直ぐ雑用開始を宣言します。大体台所と言うのは毎日3回食事の用意をする所ですからもっとも手入れが必要な場所で、まずここから開始する。冷蔵庫の中もしばらくすると不必要なもので一杯になる。次は引き出しや物いれと進み、台所が終われば6畳、4畳半に移ります。大体その頃には動きにリズムが出てきていて、敢えて探さなくても何かに気づくようになっている。動きにリズムが出ると、先ほどまでの強迫観念が消えていて、懸案事項を一時忘れた状態になっているか、先送りしても不安を感じない状態になっている。やはりあの追い詰められていた感覚は強迫観念の仕業であったのだなあと分かります。 こうして私の神経症回帰現象は数時間から最大24時間で終了しますが、殆どの神経症者は一生続けてしまって彼等の人生喪失は計り知れない。 最近、私の掲示板に次のような書き込みがあった。 「生きていくには金を稼がなきゃならない、親のスネをかじっているようでは話にならん訳です」一見まじめな書き込みに見えますが、狂いの最たるもので、書いた人の顔は青ざめ、声に張りもなく目もどんよりとしているに違いない。大体健康な人はこんなことは余り言わない。言った所で始まらないから暇を惜しんで動きます。 「環境を変えてさらに雑用にも励んでいる」”環境を変えて”も良くない。以前、「自分も神経症に苦しんでいるが、カナダのバンクーバーまで行くことが出来た」と書き込んだ人がいました。たかが神経症の苦しみの克復のためにバンクーバーまで行かないとならないのでしょうか。 30年も前に小心を治すためにアフリカのサファリツアーに参加して、ライオンの近くまで行ったと言うのを聞いたことがあったし、山の手線の車内で「自分は対人恐怖で苦しんでいる患者です」と名乗りを上げる訓練をした人がいたとも聞いています。バンクーバーに行けたはそれと同じ狂いのレベルなのです。 ”雑用に励んでいる”も良くない。禅堂で作務衣を着て真剣に掃除をしている姿を思い浮かべます。雑用はただやるだけであり励むものではありません。雑用に励むとは強迫観念に打ち勝つために意図的に何かに打ち込む姿であり、森田療法の鈴木療法に似ていて狂いを加速します。 雑用をするは動物の生きる姿であり、我々が強迫観念から開放された姿なのです。こんな当たり前の動作が出来ないで、今日もやれ「励みが足りない、吹っ切れた、環境を変えた」と狂いまくっていると人生は泡沫に終わります。 ホームページへ |