誰かが治ったと言う妄想


神経症とは治そうの強迫観念が暴走する病気で、そのために森田の時代から治ったと称する人間が繰り返し出てきた。彼等の一部は治ったと称するだけでなく、指導をも開始する。これは恥の上塗りであり、自分自身を追い込んでしまう馬鹿げた行為であるが、治らなければならないと言う強迫観念で方向を見失って突っ走ってしまうのだろう。またこの暴走を許す背景にはそれを熱心に読む人達がいる。私も神経症を治す前はその一人で、森田の本を読みふけって30年の無駄をしてしまった。
このように神経症者はなりふり構わず治療を求めるから、神経症完治根治の看板を掲げると、100万円200万円を騙し取るのは簡単です。30年も前になるが品川で対人恐怖を治すと称して怪しい療法を開始したグループがあったが、このグループはお金を騙し取るばかりでなく、若い女性に強姦までして摘発された。

インターネット上で治ったと称して神経症者を指導する人の共通点を列挙すると次のようになります。

@ 努力を頻繁に言う
健康な人の日常には強迫観念がないから、流れるように生活をしていて努力を言う必要がない。いわば肩から力が抜け落ちている状態で、無理がなく、仕事の質も良い。もし神経症が治ったと称する人物が頻繁に努力を勧めていたら、その人は強迫観念との闘争中であり、健康とは無縁の生活をしていると断定して間違いない。

A 自分の実績をきらびやかに見せる
先日の掲示板の書き込みで治った人の例として、「社会に出て仕事をバリバリとこなし、企業を相手にコーチングをし重役を相手にプレゼンをし、執筆活動もし、時には海外出張もこなし 」とある。何故こんな例を出して治っているというのか理解出来ない。
対人恐怖とは神経症で最も一般的な症例で、ごく当たり前の人がなるから、治っても当たり前の人にしかならない。
一般の医学で治療に成功した例として、大企業の社長とか有名人の例を出すことがあるであろうか。そんな人をわざわざ出してくると、何かうそ臭さを感じる。もし神経症が治った人を知りたいなら、貴方の周りの人を見ればよい。誰も飛びぬけた仕事をしているわけでもないし、抜群に出世しているわけでもない。しかし何かが違う。その何かとは彼等の顔と動きだ。彼等の顔には輝きがあり、人に売れる顔をしているのに対して、神経症者の顔は青白く、時にどす黒く、病人面をしていてさっぱり動かない。一日中考え家族の役に立たないばかりか、会社に行っても間違い連発でとても仕事にならない。健康な人は動きが止まることがなく、間違いがすくなく、気配りが行き届いていて頼もしい。

B やたら沢山指導する
治ったと勘違いして指導する人間はやたら指導する。大体健康な人では質問そのものが存在しないから指導する意味がない。質問しないと動けなくなったは異常事態であり、それだけでも精神病院に入院するに値するのに、その異常事態に一々ああしろ、こうしろと指導するのは、自分が質問する人と同じレベルであることを証明している。

健康な心では迷いと言うものが余りない。あったとしても一瞬であるから迷いがあったことさえも忘れている。このような健康な一日にさせるのは彼等の健全な無意識の力なのです。

我々動物の脳は数千万年の進化を経て苦労しなくてもこの世に生存できるように進化してきた。人間を含む動物の総ては無意識と言う自動プログラムの作動で生きているのです。自転車を乗ることを考えてみたら分かるように、自動プログラムが働いているから、我々は自転車のバランスを考えなくても自由自在に乗れる。

このように自由自在に生きることが出来るはずなのに、一々どうするかを質問する、それに答えて指導するは進化の成果を否定し、動物であることを否定するに等しい。
神経症が治るとは質問を繰り広げるではなくて、質問を停止してもう一度体の中に備わっている無意識のプログラムを目覚めさせ、起動させることなのです。プログラムの起動にはどうしても体の動きを必要としている。何故なら体の動きを引き出しているのが無意識のプログラムそのものだからです。



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