脳が外見上も変化している


ロンドンタクシー運転手の海馬が大きいとはしばらく前から聞いてはいましたが、今回ロンドン大学の研究から、運転免許取得に成功した人の海馬は大きくなっていると改めて発表されて驚いています。
かなり以前にピアノ、バイオリンを小さいときから練習している人の脳ではその関連部分が発達すると聞いていたので、脳が変化するのがいよいよ現実味を帯びて来たわけです。

海馬と言う脳は記憶に関係する脳で、この部分が破壊されると短時間の記憶が出来なくなる。例えば1分前に話した事も記憶に残らないから会話も困難になるでしょう。また、イラクあたりから帰る兵隊はPTSDにかかる人が多いですが、彼等の海馬が小さいという報告もある。海馬が小さいからPTSDになったのか、PTSDになったから海馬が小さくなったのかはっきりしていません。
神経症では前部帯状回で灰白質の形成がよくないと言われている。前部帯状回とは激しく恐怖反応をしている扁桃体の活動を抑制する働きがあると言われているので、そこの灰白質(神経細胞)の形成が悪いとなると、暴走する恐怖反応を抑えることが出来ない。

このように最新の科学は我々の記憶、音楽の訓練、恐怖の暴発、PTSD等が起きるには脳に実際の変化があると指摘するようになった。私の若かった頃の40年前には統合失調症でさえ、どのような機器を使っても外見からは健康な脳と区別が付かない時代であった。

そこで私の脳ですが、恐らく外見も細胞同士の連絡も変化改善していると思う。その理由として、下に上げる数々の健康な脳活動が恒常的に起きていて、しかもそれが10年以上推移しているからです。
結核が進行中の肺、治って30年後の肺、喘息の気管支、風邪でやられた喉を機器を使って検査したり目で直視しするとはっきりと違いが分かるはずです。脳も同じで、きっとロンドンタクシーの運転手の脳と同じように斎藤の脳も大きく変化しているに違いない。

私の脳の動作の変化を上げると
@思考のぐるぐる回りが消失した。
神経症者では思考のぐるぐる回りが酷い。私は16歳の年から48歳になるまで毎時毎分1年中ぶっ通しで32年間思考のぐるぐる回りが続いた。その間に失ったものは莫大であり、48歳の時には既に一般の人に大きく遅れて人生の落伍者に転落していた。その空転がピタっとやんで既に15年以上経つのであるから、これが脳の構造に変化をもたらさないわけがない。

A人に合う時、会合に参加するときに心構えを模索することがなくなった。
神経症当時はこの模索で大変であった。前の晩から模索し、当日家を出る前に再度点検し、万全の準備をして臨むが、現実に向き合った瞬間に対策は総て雲散霧消した。

B決断に苦労することがない。
これは鬱状態が消えたことと大いに関係している。意図的に決断する必要が無くなったと言ったら良いでしょう。総てが流れるように推移し、日常決断に追い詰められることがない。

C鬱状態の消滅
鬱状態とは心のブラックホールであり、物凄い勢いで高速回転していて、心のエネルギーの総てを吸い取ってしまう。鬱状態が始まると決断は不可能になるし、何をしても総ては失敗に終わるように感じて生きる意欲を失う。この奈落の底を見る感覚が日常から消えて久しいのであるから脳が変化しないはずがない。

D良いアイデアーがどんどん出る。
脳が健康状態を回復すると本来の働きを取り戻し次々とよいアイデアーを出してきます。良いアイデアは生活の質、仕事の質を格段に向上させます。

E神経症者のレベルで話すのを拒否するようになった。
もう神経症者が集まる場所に行って討議するのに興味を失っています。神経症者と話すとはある意味で生活を逆に戻す活動であるから面白いわけがない。今までは森田と森田に傾倒する人達がどういう人達であるのか分からなかったので、討議に加わりましたが、彼等は全員治らずの神経症者と分かってしまった現在興味を失ってしまった。

F体が何時も動いているように感じる。
不思議と自分が動いているように感じて、止まって考えているようには感じない。神経症当時は、じっと立ち止まって考えないといても立ってもいられなかった。今はその焦燥感が消えて無意識が前面に出てきて私をリードしている。確かに何かを開始するときは多少の意識が働くが、一度動いてしまうと後は自動運動と言うか、無意識が命令を下しているらしく、殆ど意識を発動する必要がない。身の回りの雑務がつぎつぎと処理され、高度の判断を必要とする作業にもその流れに沿って無意識が処理しているように見える。

G仕事の話、心理分析は殆どしない。
神経症者の話を聞いていると仕事に行ってどうだこうだと四方山話をするのでうんざりする。この人達は健康な人達ではなく、よい薬があったら即刻入院すべき精神病の患者なのです。仕事云々のはるか手前の目の前の何かを処理する、あるいはしたの表現がさっぱりない。私は会社の話をグタグタ話す暇があったら、次の連休日に何をするかの心が踊る話をしたいと思う。

H遊びを考える
暇さえあれば遊びを考えていることが多くなった。神経症が治ると大体仕事と遊びの境目がなくなる。仕事をしているようで遊んでいるし、遊んでいるようで仕事をしている。当たり前の話で脳は一つであるし、思考としての境目などあるはずもないからである。強迫観念から開放された脳の活動は自由であり、我々を囲む環境の全方向に向けて思考をめぐらしている。



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