4発のエンジン

健康な人の脳には4発のエンジンが回っていると考えると分かりやすいと思う。1発が意識のエンジンで残りの3発は無意識のエンジンです。無意識のエンジンは後ろから何時も心良い推進を与えてくれて、日常を無理なく静かに運航させてくれる。
時々意識の1発エンジンだけでは少し負担を感じることがあるが、後ろに3発控えているのでパニックになることもなく、気がつくと問題の処理を終わり通常の巡航状態に戻っている。

エンジン4発を考えたのは地震後の首相の菅さんの仕事振りを見ているからです。彼はいきり立って1発エンジンにムチを打ち前進しようとしているように見える。息めば息むほど周囲は白けてきて、お手並み拝見とばかり見つめるばかりで、誰も菅さんのためには一身を投げ打とうの人が出てこない。日本が一大事の時にこのような首相を頂くのは誠に不幸なことであった。

健康な心とは大変心地よいもので、何も無理をしなくても処理している。特に決断の質の良さが抜きん出ていて、神経症者の脈絡の乏しい朝礼暮改の決定とは異質のものである。
無意識の科学はこれからどんどん進歩して行くと思う。今までは無意識と言うとフロイトのおどろおどろしい悪魔の住む山の中から聞こえてくる雷鳴のような印象であったが、最近はこの考えは廃り、意識と言う黒板に書き出されるメッセージ以外の全ての脳の動作と考えられるようになってきた。
生命を維持すると言うのは大変な複雑な作業であると思う。心臓、肺等の生命を維持する基本的臓器に命令を下すのも脳であり、獲物を捕らえたり捕食動物から逃げる際の筋肉への命令も脳から出る。勉強や未経験の物事の処理のような意識を総動員するものから、日常のごく当たり前の無意識の作業まで、ありとあらゆる命令は全て脳から出ている。これらを全て意識の黒板に書き出すのは無意味であるし、それをしたら意識がパンクしてしまうから、情報の多くは意識を通さずに処理されている。

なのに、神経症者は無意識の脳の活動を敢えて否定して、意識脳で全部処理しようとする。その典型例を私が入院した鈴木神経科の指導に見るのであるが、彼は何事も細心の注意と最善の工夫ですれば神経症が治ると指導した。
あたかも木下藤吉郎が信長のわらじを温めて用意したように、全身全霊で物事を取り組む要領だ。
これはおかしい。私は現在神経症が治っているがそんな面倒な生き方をしていない。生活のテンポは至ってゆっくりしていても自然に注意、工夫が行き渡っている。その理由は人類数百万年の進化のおかげで、我々は敢えて指導されなくても最善の生き方をするように出来ているからである。

鈴木は庭の木々の防虫処理を患者に命じることがよくあった。その噴霧の要領は、木々の最も必要とされている部分に、最適な農薬を、周りに無駄な噴霧が及ばないように努力を尽くすと言うものであった。
そして、そのような特別の噴霧が出来るのは唯一達人(神経症が治り高いレベルに到達した人ーこの場合鈴木)だけが出来ると再三説教をした。しかし、日本全国の農家の誰が噴霧の達人である、達人でないと言って噴霧をしているだろうか。健康な心を持つ人なら誰でも、農薬の噴霧を繰り返す内に次第に要領を覚え最善の作業ができるようになる。

このような現実世界では存在しない生き方、行動を患者に要求したのだからその結果は悲惨なものであった。彼の所から数千人の退院者が出ているはずであるが、インターネット上でメッセージを発信している人は皆無である。神経症が治っていれば人生を大変楽しんでいるから、インターネット上で指導を買っているはずだ。
今から考えると、鈴木の考え、生き方、行動こそが神経症者特有なものであった。そのまま、ただ生活をしていれば神経症者だって流れるように物事を処理できたのに、全て意識の遡上にのせて動けと誘導したものだから結果は最悪になった。
我々の脳は神経症者と言えども意識で全部処理出来るようになっていない。強迫観念を産出する脳であるが、それを除いては普通の人の脳と変わらない。神経症が治るとは、興奮して強迫観念を矢継ぎ早に出す状態から、興奮が冷めて強迫観念の発生が次第に少なくなるプロセスなのです。
決して健康な人もやらない特別な意識状態に入るのと違う。ここのところを履き違えると錯乱の世界にマッ逆さまと言うことになるから気をつけてもらいたい。


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